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  • 諦めない強さを培う

    自分のことは、「自分で!」

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    子どもたちから教わることが多い中、ふと我に帰ると、わたしは何がしたいのかなあと漠然とした不安と困惑が渦巻いています。

    歳を重ねるごとに、想像していた「大人」の姿と現在の自分とのギャップが埋まらない。

    こんな感じでいいのかな?

    ジャッジを誰かに求めている自分がいます。

    結論、「このまま」は嫌だから、

    「自分のなりたい自分になる」なら、なれるよう努力すればいい。

    「このまま」がいいのであれば、

    現状維持に努めればいい。

    どんどん劣化していくのであれば、

    最後まで落ちてみるのもいい。

    選べばいいのです。

    「自分で」。

    責任と自由が表裏一体であるように、

    気持ちの割り切りも良さと悪さを兼ね備えています。

    どちらの面を、重視するか。

    そこに託されている気持ちがします。

    1「自分で」何かやってみよう

    30代半ばも過ぎ、このままでいいのかモヤモヤします。

    だから、いっそのこと、何かをやってみようと思う所存です。

    「やるからにはやる」

    この思い切りの良さを、

    プラスに見ましょう。

    失敗してもいいのです  

    失敗こそ、糧になるものです。

    失敗を考慮に入れて、準備を始めます。

    なんだかドキドキ。

    初めてやることは、怖いけれど楽しさも大きいものです。

    この時に注意しているのは、下調べ。

    いわゆる「準備」を怠らないことです。

    電車の時間から、副業の起業まで、種類は様々に及びます。

    気をつけることは一つだけ。

    「うまく行かなくても大丈夫。」

    「うまく行かないことには理由がある」

    このことに気づけたら、きっと心の余裕が生まれます。

    どうしようもない時もあります。

    そんなときこそ、声にして、

    紙に書いて、心の中身を出していきましょう。

    そうすることでより豊かな人間へのステップを確実に踏んでいくことになるのです。

    2周りよりも「自分の言葉」を大切に

    挑戦することは、怖いです。

    「今更?」と思われるのも釈然としません。

    周りを気にするな、と言いたいけれど、気になりますよね。

    気にしたっていいと思います。

    だって気になるんだもの。

    その時にそっと自分に囁きましょう。

    「今のわたしは傾聴できるわたし」

    人の話を聞くことは、わたし個人、とても苦手です。だからこそ、あっけらかんと物事を捉えてしまいがちです。

    周囲の声を拾える人は、「やること」への昇華も行えます。

    気になったら、やった!

    と思います。

    いまは「聴く」時期なのかな。

    と考えてもいいでしょう。

    一つ、忘れないで欲しいのは、「やりたいこと」に周りの意見を入れ過ぎないこと。

    本質がわからなくなると、悲しくなりますもんね。

    3お守りの「言葉」を

    好きな本の一文でいいと思います。

    困ったり、悲しくなって辞めたくなったりした時、思い出したい「言葉」を一つ、定めておきましょう。

    わたしはもう絶版?になっている作品のある部分が、ある時期になると痛切に心に浮かんできます。

    この言葉さえあれば、なんとかなる。

    自分のお守り刀ならぬ、お守り言葉を推奨します。

    やりたいこと、やってみましょう。

    きっと、楽しいことが起こるはずです。

  • 子どもたちとの情報共有

    子どもとの電車移動

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    子どもたちは大人しいながら、移動距離が長くなれば、必然機嫌も悪くなります。

    あまり旅行には行かないのですが、たまの電車移動はとても頭と精神を使います。

    今回は地元に帰るため、約3時間ほどの移動を子どもたちと共に乗り越えたか、分析してみます。

    1まずは事前準備。

    我が家の子どもたちの傾向を確認します。

    うちの場合は、朝方なので、朝の早い時間から移動する計画が立てられます。

    この計画、保護者2人の考えを擦り合わせることが最重要です。

    計画する際の優先順位は子どもたちのルーティンを壊さないようにすることです。

    朝方といっても何時?と思います。

    うちは5時起床、19~20時就寝がベースになり、お昼寝が13~15に挟まります。

    この形を壊さず、どこで何をするか、考えます。

    出発の時間の目処をたて、その前後の電車時刻を2~3本書き出しておきます。

    もちろん帰りの電車も。

    最低、この時間には出たい、と考えておくことで余裕のある朝を迎えることができます。

    加えて、お茶とご飯の準備。

    大人はその辺で買えばいい。という発想もありますが、大人が食べていれば子どもは食べたがります。つまり、ほぼ同じものを食べるイメージで用意します。

    離乳食が終わりを迎え、ある程度硬いものも噛めるようになった年齢なので、おにぎり系が多いです。

    おやつもパンケーキとワッフル、ベーグルを用意しました。

    子どもたちにとって知らない場所での食事が少しでも楽しいものとなるよう、工夫する必要がありますよね…!

    前日までに計画と準備。

    これがまずしっかりしていればなんとかなります。

    2 当日は臨機応変。

    当日の朝、天気や移動経路を想定しながら子どもたちより1時間早く起きて準備をしていきます。

    今回は雨の中だったので、ベビーカー移動や傘の用意も準備の中に入っていました。

    朝、子どもたちが起きる前に大人は準備完了。

    そして、彼らが起きてきたら、一緒に準備。

    子どもたちもいつもと少し違うことが理解できる年なのでドキドキしながらお手伝いしてくれます。

    トイレ問題もこわいので、早く準備ができたとしてもうんちが出てから、出発。

    この心づもりが大切かと思います。

    ま、出ない時は出ないのですが。

    電車の中で、はじめはゆらゆら楽しげに過ごします。しかしつまらなくなるのも早い。

    そんな時はおしゃべりとお気に入りのおもちゃで対応。

    どうしても泣き止まなくなったら、それはそれでしょうがない。

    そのくらいの心持ちでいられると最適ですね!

    イライラは禁物です。

    彼らも頑張ってくれているのですから…

    お昼を食べたら帰りの電車。

    日帰りコースだとここでお昼寝してくれるととても助かります。

    今回はうまく時間が被り、彼らはスヤスヤ寝てくれ、大人たちも穏やかな時間を過ごすことができました。

    3 計画は子どもたちとも共有を

    最後に、旅する日程は早めに子どもたちにも伝えて気持ちを高めてもらいましょう。

    「一緒に行く」という気持ちはお互いの心の統一がはかれます。

    家族とは何か、というものに触れる気もします。

    一緒にやるから、頑張ろう。

    そんな気持ちで電車に飛び乗った1日だったように思います。

  • 自分を見つめる

    言葉に踊らされない

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    こうありたい自分、ありますか?

    20代の頃は、「30代」って、すごく大人だと思っていました。

    そんな自分がひとたび、30代になってみると、中身は20代と大差ありません。

    人は、いつ変わるのでしょう?

    安定した姿はいつ、確立されるのでしょうか。

    1理想を追うことの楽しさ

    気持ちの面で、さまざまなメンタルヘルスの本を読んだことがあります。

    先輩のようになりたくて、大人っぽくなりたくて。理由はその時その時で違いましたが、追い求める自分と現実との乖離が、寂しくも楽しい時期でした。

    「こうありたい」と望む意志の強さ。

    この強さを、30代になった今、どこかにおき忘れてしまった気持ちをふと感じます。

    「しょうがないよね」

    という言葉に、頷く自分がいることで安心してしまう時もあります。

    「これって普通なのかな」と不安になり、他者と比較して心細くなる自分もいます。

    「落ち着きのある人間になりたい」

    そんな気持ちも裏腹に、そんなこと言ってていいのか不安になる。

    これって誰でも起きることなのか。

    自問自答をしてみたりします。

    答えは、出ません。

    答えが欲しいのではないからです。

    理想を見つめる自分を、見つめることから目を背けて、誰かに語ることを恥ずかしがっているからです。

    「恥ずかしいよね、この年齢で」

    この言葉、とても強い。

    だからこそ、言います。

    「恥ずかしいよね、だからね、

    もう恥ずかしいからそれ以上はないよ」

    「だから、やろうか」

    この気持ちをブレずに支柱としていきましょう。

    2現実を見る強さ

    自分を知ることは、言葉を知ることでどんどん深まります。曖昧だった気持ちが、ピタッとはまる言葉に出逢うと、その形が鮮明に浮かんでくるように。

    知ることは領ること。

    自分を治めるには、まず知る。

    言葉を知る。

    そして、今を見る。

    「現実はしんどい」とよく言いますが、捉え方の問題にも思います。

    しんどいからこそ、攻略のしがいがあるものです。

    現実を見る強さこそ、知る強さに直結しているものですね。

    3「全て理解する」のではなく「受け入れる」優しさ

    「こうありたい」と望む自分は、完璧なのか。

    答えば自ずと出てきます。

    完璧の程度は人それぞれ。

    本人の中で、「やったね!」と思えたら、それが1番です。

    これは、全てを理解するより、どちらかというと、受け入れることに通じています。

    「自分」という器を、どのように彩るのか。

    何を載せるのか。

    何を選ばないのか。

    選択は未知数です。

    いつか、選びます。

    選び取った何かを、受け入れられるよう、心を強く鍛えていきたいですね。

  • 変わる時は自分で選ぶ

    30代にしておきたいこと

    こんにちは。

    年子と暮らす30代社会人です。

    いつのまにか30も半ばになり、歳月の早さを感じる次第です。

    いまだから、やっておきたいことは何か。

    むしろ、やれることは何か。

    年を経ることで何を得たのか。

    1 「いまだから」言えること

    若いという感覚は、もうないものです。

    しかし、ふと気づくと年をとったなあと思うことが増えたのは否めません。

    どんな時に、こう思うのか。

    肉体面での衰えはさも知らず。

    精神的に、耐えられる幅が広くなったと感じられます。

    先輩たちの仕事を、懸命に追っていた時。

    後輩たちのやり方を見守ることを学んだ時。

    20代であれば「待つ」ことなど、できなかった。そんな思いが心を満たします。

    中間管理職とも言われる年代。

    苦労も多いと思います。

    けれど、逆に、見えてくる視点が変わってくるのもこの時期。

    「責任」という看板を背後に、「やりたかった」ことを責任もってやる。ダメだったらの打開策も講じて、望む。

    挑戦の仕方が、変わったのかもしれません。

    やりたいようにやるのではない。

    みんながやりたいことを少しずつできるような環境を作る。

    それが、やってみたかったこと。

    こんな気持ちが湧き起こるのも30代の特権であるように思います。

    2 過去は誰のもの?

    過去は、振り返らないもの。勝手にそんなふうに思っていました。

    過去は、蓄積。

    言い換えれば、糧。

    悲しみも苦しみも、嬉しさも喜びも、全て今のわたしを形づくるものである。

    なければよかった。

    そんなことは、一つもない。

    そのことに気づくことができる年齢になった。

    そのことを、とても嬉しく思う日々です。

    だからこそ、全力を持ってことにあたる。

    この勢いは負けないように。

    自分のできることを、やれることを、見極めながら、本当に「やりたかった」ことに手を伸ばしてみる。

    そんな年齢になっていると思います。

    3 しっかり生きること

    転職や家庭環境の変化、自らを取り巻くものたちが変容するのも時期的にあります。

    この流れに乗ることで、自分はどうなってしまうのか。

    不安がないとは言えません。

    その反面、その先になるにがあるのか、とても気になることでもあります。

    30代でなにをやるか。

    一つです。

    しっかり、生きること。

    その日その日が、終わりがいつきてもいいように、悲しくも楽しくも、やり切ること。

    命はいつか燃え尽きます。

    その燃え尽きる時まで、精一杯楽しむこと。苦しむことが、わたしのやりたいこと。

    そんなふうに思います。

  • よく読むこと

    活字を読む

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    図書館によく行く中で、10代の頃に読んでいた作品をふと読み返す機会に恵まれました。懐かしいし、なんとなく不思議な感覚。

    個人的に好きな作家さんは増えていっています。10代の頃に好きだった作品を読み返した時、あの頃に戻れた気持ちになりました。

    初めて読んだ時のドキドキ感ではなくとも、「そうだったよね」という安定感をひしひしと感じるこの頃。

    時間の流れは不可逆ですが、その中で、読書は時間を巻き戻してくれることが多いように思います。

    実用書をあまり読まないので、小説がメインです。

    小説の持つ力は、偉大です。

    個人的な考え方ですが、小説の良さを考えてみたいと思います。

    1 立ち止まる勇気

    近年、自己啓発書なるものが多く点在し、流通を極めています。

    時たま書店でパラパラ巡ることがあります。

    …やはり、「響かない」のです。

    小説は、言葉の集合体であり、創造力の結晶でもあります。

    ホラー以外のジャンルには手を出すようにしています。

    読むことで、言葉が頭の中で踊り始める。

    わたしの読書はこの感覚です。

    知らなかったことを知る。

    これは実用書にも言えることです。

    小説はその中でも、心に「響く」言葉を、作者があたためてくれた何かを、読者であるわたしが受け取ることができます。

    実用書も同じ?

    いえいえ、少し違います。

    何が違うか?

    実用書は読んで「ためになった」という感想が好ましいのかもしれません。「役に立った」と思える内容が望まれているのかも。

    小説の言葉は、役に立たなくていいのです。

    ただ、そこに「ある」だけでいいのです。

    小説を読む時間、心は立ち止まり、休息を得ます。

    言葉たちが踊る中、わたしはその輪の近くに腰を下ろす。そこでみたもの、聞いたものは、わたしの中に染み込んできて、消えていきます。

    これが、小説です。

    心の中にふとした時に浮かぶ言葉、フレーズ。

    歌詞のように舞っている言葉たち。

    この感覚が、読書であり、この積み重ねが創造につながっていくと感じています。

    2 活字を終えない人へ

    スマートフォンが普及し、電子書籍も横溢している現代。わたしは断然紙を薦めます。

    本を手にしている感覚こそ、活字を目で追う喜びこそ、紙であるが故に深みを増すものだと思っています。

    紙はかさばります。

    重たいです。

    汚れると落ちません。

    だけど、ここにあります。

    手にとって、読んでいる実感があります。

    小学生の頃、ハリーポッターの本を手に初めて徹夜した時。

    どうしても読みたくて、休み時間の10分でコソコソ読んだコバルト文庫。

    父に無理を言って、発売日に買ってきてもらった宮部みゆきさんの新刊。

    どれもこれも、わたしの中に染み込んでいる本を巡る「物語」が響いています。

    こんな体験、ゲームアプリではできないのです。

    いえ、できるかもしれません。

    だからこそ、本もお勧めします。

    活字を見ることが苦手な人が増えているそうです。スマートフォンやAIが全てやってくれるため、書かずに読まずに済む時代です。

    とても、勿体無い。

    わたしたちの目を、時間を、創造のためのゆとりを、ぜひ感じてほしいものです。

    漫画や絵本からでいいと思います。

    まずは慣れる。

    それが大切。

    嫌いとかそう言った次元ではないのです。いやとかではなく、活字こそ、人を豊かにする産物の一つです。

    3 おすすめのな本はと聞かれたら?

    よく「本を読みます」と他者に伝えると「おすすめは?」とか聞かれます。

    これ、とても難問です。

    その人がどんな人かわからないし、どんな需要をもってわたしに聞いているのか、わたし自身が試されている感覚になり、とても慎重になります。

    推せる作品を否定されることも多々あります。

    けれど、否定できるってことは読んだってことですもんね。そう考えると議論の余地ありという感覚で、お話が弾む気がします。

    わたしはとりあえず、おすすめを聞かれたら、「どんなものが読みたいの?」と聞くようにしています。相手の射程範囲を聞いて、ストライクにはならずとも、どうにか受け入れられるような作品を提示したいと思ってしまいます。

    ただの自己満足です。

    けれど、それが読書であり、

    創造する力の育成でもある。

    そう考えています。

  • 自分の中の当たり前を考える

    世界の実情と自分の実情

    こんにちは。年子と暮らす30代社会人です。

    昨今グローバル化が進み、各家庭で英才教育に力を入れることが増えてきています。

    我が子たちはなにを学んで欲しいのか。

    今からできることはあるのか。

    それを模索していくと、答えはあるのか。

    子どもの学習家庭環境の変化を平成と比較しながら追っていきます。

    1 塾は当たりまえ?

    平成っ子のわたしは地元が地方であったのもあり、習い事で放課後がなくなるような環境ではありませんでした。

    土日のどちらかにピアノがあって、ほかは部活動くらい。

    遊んで、勉強して、寝る。

    そんな日々でした。

    今思うと幸せだったなあと思います。

    二つ上の兄弟を待ちながら、外でバトミントンをしたり、一輪車をしたり。

    都会の中で、そんなこと、できないよなあと思います。

    誘拐や事件性のある何かに巻き込まれてしまう可能性が高い都会。

    地方も変わりないと思いますが、わたしの暮らしていた地域はとてものほほんとした、良い意味で過疎化が進んでいたように思います。

    高校入試、大学入試がそれぞれありました。

    英語がとてもできなかったなあと思います。

    だから、朝早くから学校に行って、夜も最後まで自習室で勉強しました。

    あのころ、先生たちは何時に来ていたのだろう?

    今思うと、本当に自由に楽しく高校生活を送らせてもらったと思います。

    もちろん、塾に行く子もいました。

    わたしはそこにお金を使うという発想より、本が欲しいと思っていました。

    本があれば勉強できる。

    単純な高校生だったなあと思います。

    人によって習い事はそれぞれ。

    我が子はどうしようと考えるにつけ、ピアノと水泳、毛筆でいいかなと思い始めました。

    本当は英語とかやった方がいいのだと思います。

    けど、そこは本人たちに任せようと思います。

    3歳を過ぎたころから、まずやってみる。

    何事も継続あれ。

    お金はかかるが、きっと楽しいこととそうでないことを学べる場になるはずです。

    令和の当たり前は、うちの当たり前ではない。

    そんな気持ちが大事なのだと思います。

    2 環境は整えるのが当たり前?

    習い事も勉強も、やはり環境がものをいう気がします。

    親として、というより、わたしが親からしてもらったことを子どもたちにも還元したいという気持ちが強いです。

    「当たり前の質」をあげる。

    それには時間もお金もかかります。

    否。

    そこにお金をかけられるよう、働きたいですね。

    親が子どもにできることって、子どもだったわたしを思い出すと、本当に少ない気がします。

    だから、せめて大人のわたしが子どもたちにできる最大を、提供できる器でありたいと思います。

    3 「正しいもの」じゃないとダメなのだろうか。

    習い事も、考え方も通り一遍の「正しさ」を学ぶことだけではいけないと思います。

    言い方を変えれば、習い事から、何を学んでほしいか、そして、子どもたちは実際にどう変化するのか。

    こちらの願望ばかりを押し付けるのは痛いです。

    だから、少しずつの歩み寄りを経て、世界に溢れる「正しさ」という詭弁の正義を、どうにかこうにか乗り越えていきたいと思います。

    上の子は、とても利発です。

    だからこそ、裏をかいてやったことが、跳ね返ってくることもあります。

    いっぱい喧嘩をしよう。

    いっぱい泣こう。

    いっぱい笑おう。

    いつか手を離さなければならないのは、誰でも一緒。だからこそ、今の時間を大切に過ごしたい。

    時代の変化が激しいからこそ、穏やかな心構えが囚われてはいけません。

    そこを忘れなければ、子どもたちと手を繋いで、歩いていける未来が待っている気がします。

  • 毎日は同じではない毎日

    日々が鍛錬の時

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    体力の衰えをさることながら、日々のタスク処理、子どもとの時間、自分のやりたいことに忙殺され、いつのまにか1日が終わっていることが増えていると感じます。

    やりたいことを書き出してみて、「やろう!」となるまでのエンジン温め時間も増えている気配がします。

    これが腰が重くなったということか!

    と少し嬉しく思いますが、果たして。

    フットワークは軽い方が好き。

    体重も軽めで気持ちも軽め。

    そんなノリで仕事や子どもたちとの時間を過ごしたい。

    この希望を実現するために、何をしていくべきなのでしょう?

    1 まずは「体調管理!」

    何はともあれ、体調が思わしくない時はいけません。どんなこともネガティヴであったり、結論がまとまらずイライラの渦に引き込まれたり、ろくなことがありません。

    体調の悪い時は「身体からのSOS」。

    即座に切り替えて、お休みモードになりましょう。

    本当なら、「明日やろうは今日やろう」ですが、体調の悪い時は「明日やる」でいいのです。

    大丈夫、死にはしません。

    明日のやることが少し増えるだけ。

    けれどそれもちょっとだけ。

    いつものわたしだったら余裕でしょ!

    という感覚で、お休みします。

    だってね、体調が悪いということは、

    物事が今は止めどきということを教えてくれているんです。

    病を押してやったとしても、きっとまたやり直し。だから、今は休みましょう。

    こんな心の声をつぶやいて、

    お家に帰って好きなことしましょう。

    これこそ、一番の回復であり、一番の仕事でもあるのです!

    2 頭の中を「整理整頓」

    ふと、不安が襲う時があります。

    「このままでいいのかな」

    この気持ちが芽生えたら、成長の兆し!

    とことん悩みます。

    「悩む」という表現が個人的に好きではないので、「迷う」とします。

    いつかは、ゴールを定めるのです。

    だから、いまは迷って迷ってとことん困ります。

    何を考えていたいのか、

    どんな結論が欲しいのか、

    何のために考えようと思ったのか。

    いろんな方向から考えましょう。

    頭をパンクさせてもいいのです。

    それくらい頭を使えれば上出来。

    あとはやる順番を決めるだけ。

    迷う時は時間を設定してもいいですね。

    保育園のお迎えの時間から逆算して、

    この時間までは余裕があるから、考えよう。

    この既定路線を作りつつ、自分の「迷う時間」をしっかり持って、自信を持って迷いましょう。

    うまくいかない時ほど、心が追いついていない時。こんがらがった糸をほぐすように、頭を休めるのもありです。わたしはどちらかというと極限まで使い切って切り替える方が楽しいですね!

    頭の中の優先順位、しっかり固めて紙に書き出したら試合開始!

    自分のやることに一直線になれる時間が、迷うことの先にスタンバっています。

    おそるることなかれ。

    敵は己の中にあり!です!

    3 毎日のルーティンを作り出す!

    いちいち考えるのも、休むのも面倒。

    この頃のわたしは頓に面倒くさがりに拍車がかかっています。だからこそ、立ち止まる価値があることを見落としがちになります。

    「落ち着け、自分。」

    と魔法の言葉を唱えましょう。

    日々の積み重ねが毎日を彩るように、この積み重ねの濃度によって、充実度も変化します。

    少しずつの変化は加えていきましょう。

    朝の白湯の時間。

    通勤の時間。

    寝る前の時間。

    自由になるのはこのくらいしかありません。

    いいえ、こんなにあります。

    なにをしよう。

    なにがしたい?

    心に問いかけて日々を作りましょう。

    予定があった方が落ち着きますが、無計画もどんとこい!

    まっさらな地図に向かって、鉛筆でびしゃーっと線をひきましょう。

    大丈夫、失敗こそ成功への近道。

    うまく行ったら幸運なのです。

    この気持ちのルーティンを作り上げ、

    日々の「軽め」な心意気を育てていきたいものですね。

  • 兆しを掴むこと

    何かを変えるためには自分が変わること

    こんにちは。

    年子と暮らす30代です。

    家事をしていても仕事をしていても、何かと「わたし」以外の人がそばにいます。

    人は思い通りにはならないもの。

    当たり前だけれど、腹が立つ時もあります。

    そんな時、心の持ちようはどうあるのが望ましいか。

    仕事と子育て、どちらもしんどさに優劣はつけ難いです。だからこそ、この2つが身に起きていることに絶望せず、クリアできる課題として向き合っていきましょう。

    1仕事では、「こういうわたし」

    わたしが周りと軋轢を生まないよう、気をつけていること。それは、いま、演じているということ。本心なんて、あってないような時があります。

    そう思った最初の記憶は小学生。

    小学生の頃は学校と家とかが、わたしの世界観を形作っていました。ちっぽけな世界でしたが、そこにいるのが「わたし」です。

    「わたし」は親から見ても、先生から見ても、「しっかりしている」子を目指そうとしていました。負けん気が強く、「できる」という気持ちが強かったのですね。

    だから、悔しくても痛くても、合言葉は「絶対大丈夫」でした。

    あの日々を思うと、我ながら頑固な子どもだと呆れてしまいますが、その当時はそれこそが「わたし」を形作っていたのです。

    場所が選べないからこそ、その選択肢さえ知らない無知だからこその行動なのかもしれません。

    いまは、どうでしょう?

    選べます。

    どこにいきたいか、どうありたいか。

    そして、どう見せたいか。

    この点に気づけたことが大人になったなあと思う点でもあります。

    いいんです。本音は隠しておいて。

    これから何かをする時、わたしは「かっこいいわたし」でいこう。

    今は疲れたから、「省エネのわたし」。

    食べ過ぎたから、「よく寝るわたし」。

    その日々を生き抜く中で無意識に身につけている演技が、人にはあります。

    仕事でもそうなのです。

    それを無意識にするか、意識して活用するかの違いだと思います。

    仕事だから、演じられない「わたし」の側面もあります。いいんです、それで。

    完璧よりも、「こうありたかったなあ」という気持ちの方が大切です。

    演技だから、失敗もします。

    うまくいくと嬉しいです。

    そんな気持ちで仕事に臨んで楽しんでいます。

    2 家事こそ「かっこいいわたし」の出番

    仕事が終わって帰ってくると、賑やかなお子様たちが迎えてくれます。

    ここでは保護者の役割を演じることを望まれますが、わたしの場合は、どちらかというと彼らの執事役。せっせとお世話を焼いていきます。

    たまに、「無」にならないと、やってられないことが起きます。

    そんな時、執事だったらどうするのでしょう?とか、考えて、怒りを分散させます。だって、執事たるもの、ご主人の指示を守れずしてなんとなりますでしょうか。

    とか、こんな感じで乗り切ります。

    うまくいかないことこそ、当たり前。

    人を変えるのではなく、変わるのは「わたし」。

    それに気がつけた瞬間から、まだ違う場所に飛んでいけるのではないかと思います。

  • 大切なことを見落とさないこと

    なんでもない日常

    こんにちは。

    年子と一緒に過ごす30代社会人です。

    世の中には、「子ども」の有無によって対応が変化する環境もあります。

    このままでは、子育てできないよ!

    と言うことが言いたいのではなくて、

    ただ、子どもがいるからこそ、思うことを、

    子どもがいないわたしを想定して、

    お話ししてみようと思います。

    1 関わること、関わり合うこと

    最近、通勤電車で小学生の子とまだ0歳くらいの子を抱っこしたお母さんに出会います。

    「これから保育園かな?」

    「小学生なのに電車に乗って偉いなあ」

    こんな感じの気持ちで揺られています。

    通勤電車ですから、とても混んでいます。

    その中で小学生の子は降りる駅になると、

    「降ります!」と大きな声で主張しています。

    0歳くらいの子も、咳をしていたり、周りのものに手を伸ばして遊んでもいます。

    そんな時、周りの空気が、すこし変化します。

    張り詰めるというか、なんと言うか。

    こう、どうにも言い難いですが、端的に言うならば、顔に「うるさい」「迷惑」と書かれている人が多い、と言う感じです。

    これは、心が狭いのか?

    よくSNSでこうした子どものマナーに関する内容を見受けられます。

    論議になったりもしていますが、果たして、これって、結論がいることなのでしょうか?

    わたし個人としては、

    「そうなんだね」くらいです。

    子どもたちも大人たちの反応も、「そうなんだね」という形です。

    なぜか?

    それは、思うことは自由であり、他者が他者の発言や気持ちを左右することは自身の美徳に反するからです。

    子どもたちの様子を微笑ましく思える時もあれば、そんな余裕もない時だってあります。

    そんな時に批判されたり、突かれたりしたら、とても悲しいし腹立たしいと思ってしまいます。

    だから、わたしはわたしに求めることとして、「事実を認識すること」を課しています。

    人間だからこそ、良くも悪くも感情が揺れるのです。

    揺れたとて、それに制御されるわたしは、わたしとしてまだまだ未熟者であるだけなのです。

    他者に何かを求めるほど、わたしはわたしができているとは思えません。

    だからこそ、言えます。

    いいと思うよ、そのままで。

    こうした排他的にも見える考え方、どこかニヒリズムに似ている気がしている今日この頃です。

    2 「こうだったらいいのにな」を探す

    生きている中で、子どもがいない人生もあったろうなと考えます。そしたら、今の「わたし」はわたしではない「べつのわたし」になっているはず。

    それもそれでいいと思います、が、

    それはそれ。

    今は子どもたちが目の前にいるからこそ、「こうありたい」と思う理想が築かれます。

    無い物ねだりは人間の性。

    無いものは作ればいい。

    わたしはわたしの中で、

    「こうしたい」と思うことが増えてきました。

    仕事の多忙さにかこつけてサボっていましたが、もう少し自分の心に耳を傾け、理想の自分を体現するために、動いてみようと思います。

    まずは、体調管理。

    子どもたちが優先、と思いながら、

    自分のことを省みることなく半年が過ぎました。体重然り、風邪ひき頻度の向上然り。

    サボった分のツケはしっかり回ってきます。

    体のメンテナンスはとても大事。

    欲望のままに、ストレス発散とかこつけて食べすぎるわたしは、さようなら。

    わたしはもっとバランスがとれた肉体を目指します。

    そして、お金のこと。

    子どもたちにかけたいお金の貯蓄がどうなっているのか、全体像が霞んでいます。

    彼らが大人になっても、わたしがわたしらしく楽しめるように、お金は大切に管理していか必要があります。

    仕事と育児と、パートナーと。

    1人でやることもあるにはあるけれど、情報共有は大切です。仕事でも育児でも、他者を重んじ、自分の持分以上の何かをできるパワーをためながら、全てのことに臨んでいきたいものですね。

  • 子どもといること

    人として忘れたくないこと。

    こんにちは。

    年子と共に成長中の30代です。

    子どもたちと一緒に過ごす毎日はとてもかけがえのないものです。

    子どもたちの痛ましい事件を見るたびに、今ある日々がとても、とても、大事だと噛み締めています。

    子どもがいるから、我慢していること。

    裏を返せば、子どもがいるから、

    経験できることがあること。

    子どもがいるから、悲しくなること。

    それは、いまだから、わかる感情のこと。

    無い物ねだりはできない。

    子どもは天からの贈り物。

    いつか離れていく、その日まで、わたしは何をしてあげられるのか。

    今はまだ幼い我が子たち。

    この子たちからもらった、たくさんの心。

    わたしのやれることは何か。

    1 「子どもがいるから」ではなくて。

    仕事でもプライベートでも、子どもがいるのといないのと、とても大きな「差」があるように感じます。

    マイナスだ。と言葉にはできないけれど、そんな形で思っていました。

    けれど、落ち着いて考えてみると、ちょっと違うのです。

    子どもがいることを選んだのはわたし。

    子どもとの時間を優先することを、

    子どもといたいと思うわたしこそ、

    わたしが選んだ、「わたし」。

    大人になりきれないわたしだから。

    どこか、独りよがりで、

    けれど、どこか不安定で。

    子どもである、「あなた」がいてくれるから、

    この、不安定が少し、ゆるむ。

    大人になんかなりたくなかった。

    好きなことをずっとやりたかった。

    あなたが、ここにきた時から。

    わたしは、こんな世界があることを知った。

    知ることが好き。

    知らないことが怖いから。

    もっと言うと、知らないことを知らないと知ることが、楽しかった。

    だから、あなたがこの世に来てくれた時、

    少し戸惑った。

    怖くもなった。

    けど、いいの。

    いらっしゃい。

    一緒に大きくなろうと、決めたの。

    わたしは、あなたを選ぶ。

    あなたがわたしたちのところを選んだように。

    手を繋ごう。

    まだ、未来は見えない。

    見えないからこそ、面白い。

    優先順位なんて、ない。

    あるのは、

    大切にしたいと思う心の強さ。

    全てを1番にできたらいいのに。

    そうできるような、わたしになりたい。

    そう思えるようになったのは、

    あなたがここにいてくれるから。

    いてくれて、生まれてくれて、

    ありがとう。

    2 手を離すのではなくて。

    わたしのできることはなんだろう。

    仕事はすきだった。

    今も変わらず続けている。

    けれど、時々空白が生まれる。

    子どもたちを見ていると、

    この時間がいつまで続くのか、

    不安が生まれる。

    一方で、

    「このために」と言う思いも生まれる。

    わたしの時間は、限りがある。

    明日がなくなるかもしれない。

    怖いけど、楽しみ。

    その日が来るまで、

    わたしは子どもたちに何を返せるのか。

    手を繋ごうと思ってる。

    最後のその時まで。

    「大丈夫だよ」と、笑って、

    「またね」と言えるように。

    あどけない寝顔を見ていると、

    穏やかな吐息の聞こえる頭を撫でていると、

    わたしが、生きていてよかったと

    実感できる。

    共に生きることは、いつか崩れてしまう。

    わたしが彼らを残していく。

    だからこそ、思う。

    思い出を作るのでもなく。

    時間を愛おしむのでもなく。

    一重に。

    一緒に、手を繋ごう。

    この手は、あなたの手は。

    未来をつかむために、

    あるのだから。